運の良い人というのは、開運とか運命といったことに関心は持たないと思います。どうにも耐え難い苦しみがあり、それを自分ではどうすることも出来ないというとき、人は何らかの超越的な力によって、その苦しみから解放されたいという思いから、開運、運命といったことに関心を持つのだと思います。
自分ではどうすることも出来ない苦しみに直面してしまう、それは運の悪さ故だという理屈から、運を良くすれば何とかなるかもしれないという希望を見出すわけです。つまり、どうすることも出来ないという絶望の苦しみを、その希望を見出すことによって回避するわけです。
私見を述べれば、苦しみに意味などなく、ただ単に運の悪さ故のメカニカルな帰結に過ぎないのではないか。
では、運とは何か、運とは何が基になって形成されているものなのか、と問われても当然分かりませが、決定的なのは生まれついた環境でしょう。ここに人間の無力、どうにも出来なさ、不可抗力というものがあります。
「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、幼年期は誰でも家、親が全世界であり、絶対なわけです。当然その世界、絶対に応じた自我が形成されます。そしてその自我は、その絶対性なり、親に見捨てられたら生きていけないといった死の恐怖なり、その他諸々の自覚するのが耐え難い苦痛によって固定され、あるいは拘束され、自我の再形成は容易ではありません。それ故に、外部(一般社会なり現実なり事実なり)に適応した家、親であれば外部に適応した自我が形成され、外部への移行もスムーズですが、そうでない場合も多々あるわけです。そのような場合に、「自分ではどうすることも出来ない苦しみに直面してしまう」ということになりがちです。
まぁ、これはひとつのモデルケースに過ぎないのですが、とにかく、どういう家、親の下に生まれるかなんてことは選べないわけですから、そこにまずひとつ目の運というものがあり、これが決定的なわけです。
私は、風水や占星術も、こういう思想によって形成されているように思えます。つまり、生まれついた環境がその人の一生を決する、と。
風水は本来、インテリアの配置を変えて開運するなどというものではなく、もっと長いスパン、その家の7代目、8代目の子孫に対しての影響を考えるというものでした。祖先の遺体を良いエネルギーに満ちた土地に埋めることで、祖先の遺体(昔は土葬)を通してその土地の良いエネルギーを自分達(子孫)に取り込み、そのエネルギーの結果があらわれるのが7代目、8代目の子孫という、非常に気の長いものでした。
つまり、風水では、家、親によって幼年期に形成された自我を、自分で変えることなどできない、よって家、親自身が良いエネルギーによって徐々に良くなっていき、良くなった家、親からの良い影響を受けた子供が、運の良い幸福な人生を送り、それが代々受け継がれていくということを目指しているのだと思うのです。
では、そのエネルギーとは一体何なのかということもありますが、おいおい追求していきたいと思います。
私は、現代においても、多少なりとも名を上げていたり、幸福な人生を送っている人というのは、必ず、そういった何らかのエネルギーのサポートがあるように思います。
過去の偉人などを見ても、何代か前の祖先に名を上げた人がいたり、高貴な家系の血を受け継いでいたりするものです。
とりとめのない文章になってしまいましたが、それ故に、そういったエネルギーなり何なりのサポートを得なくても、自分で自分の自我を変えることさえ出来れば、何の問題もないわけですが、それはなかなか出来ることではありません。かといって良いエネルギーなり何なりのサポートを得るといっても、なにをどうしたらよいのやら・・・。
昨日、TVに瀬戸内寂聴が出てきて、「過去も未来も思い煩うことなく、今、このときのことのみを考え、全力を尽くせ」なんてことを言ってましたが、こういうのは逃避の一種でありダメです。「自分」を知るためには、過去を振り返り、徹底的に掘り起こさねば。「自分」を知って、初めて自我を変えられ、悪運(=現実、事実からズレた自我)から解放されます。まぁ、全ての人が現在の不運の原因が過去にあるというわけではないのでしょうが。
このブログでは、私があれこれ手を出してきた、とんでも系からオカルト系、占い、その他様々な開運法(と名の付くこと)について、独断と偏見に満ちた雑感を述べていきたいと思います。そのうえで、真の開運とは、どうすれば本当に運が開け、よりよい人生が送れるようになるかということを追求していけたらと思います。