車運の悪い人というのがいます。
何度車を買い換えても、決まってハズレの車に当たってしまうのです。故障ばかりして修理代もバカにならず、今度こそはと慎重に選ぶのですが、やはりハズレ。
一方で、金運のよい人がいます。
財布の中はいつもお札がいっぱいで、少なくなってきたなという頃には特に何もしなくても、どこかしらかお金が入ってきます。
こういった事は何故起こるのでしょうか?
ボールを投げると放物線を描いて或る地点に落下しますが、ボールに対して他からのエネルギーが加わらない限り、その軌道が変わることはありません。
占星術も、こういった慣性の法則を前提にしています。
なにか新しい事を始めたときの天体の配置(3重円)がよければ、そのことに関してはその後もよい傾向があり、悪ければその後も悪い傾向があるということです。
ですので、車運の悪い人というのは、占星術的には最初に車を買ったときの3重円が悪かったのだろうと考えられます。3重円の悪いときに新規の行動を起こすと、このように慣性の法則が働くので天体に悪いクセがついたと言います。
一般の人は占星術などやりませんが、その後、車運の悪い人が車を買い換えようと思い立つ時がまた、占星術的に「悪い時」であったりします。一度天体に悪いクセがつくと、このように天体が悪く働くものなのです。
人間の一番最初の行動は、この世に生まれるということなので、人間の人生はその誕生の瞬間の天体の配置(ネイタルチャート)が指し示すものになるだろうと予測します。これが所謂ホロスコープ占いであり、占星術でいうところの生まれ持った運勢です。
人間というボールが投げられて(誕生)、ボールに対して他からのエネルギーが加わることがなければ、慣性の法則により生まれ持った運勢通りの人生を歩むことになるわけですが、生きていれば様々な出来事があり、他からのエネルギーが加わらないということはないので、ボールの軌道(運命)を変えることは可能なのです。他からのエネルギー、即ちトランジットです。
こういった意味でトランジットは救いでもあり、また、恐るべきものなのです。
人間には自由意志があり、運命は自分の意志と努力で切り拓いていくものだという人がいますが、その自由意志というのが実は、慣性の法則に縛られた不自由意志でしかないのではないかと思うことがあります。つまり、ボール自身にボールの軌道を変えることはできないのではないかということです。
例えば、前述の車運の悪い人のことを考えてみましょう。
経済的制限などはありますが、その範囲内であればどの店でどの車をいつ買うかということはその人の自由意志で選べます。しかし、その自由意志は気分や状況を左右することはできません。気分や状況から必要が生じ、その必要を満たすための行動を起こさねばならなくなり、その行動を起こす際にいくつかある選択肢の内からどれを選ぶかという段階で初めて自由意志が発揮できるという流れなのですから、自由意志といわれているものは実は、気分や状況に完全に支配されたものでしかないと言えます。これを果たして自由意志と言えるのかということです。
つまり、車が致命的な故障を起こして買い換えざるを得なくなった(状況)、今の車は調子が悪く乗り続けるのがどうしても嫌になった、街でカッコいい車を見て自分もそれが欲しくなった(気分)、そういったことから車を買い換えるという行動が発想されるのであり、そこで初めて車を買い換えるか買い換えないかの選択肢、どの店でどの車を買うかといった選択肢が出てきて、その選択肢で自由意志が使えるということで、その選択肢が出現していない状態では自由意志の使いようもありません。
恐らく、慣性の法則はこの気分に作用するのだと思います。つまり、最初の行動を起こしたときの3重円の状態を実現、維持するように気分に働きかけるのではないかということです。
理由はどうあれ車運の悪い人は車を買い換えようと思うときが、決まって占星術的に悪いときであることが多いのです。そこで車を買い換えれば、占星術的に悪いときですから、またハズレの車を掴んでしまい、また「悪い時」に行動を起こしたわけですから更に強力に悪いクセをつけたことになり、こうして車運の悪い人生という軌道がつくられていきます。
ですから、3重円を見て「よい時」には大いに行動し、「悪い時」には大人しくしているという行動の緩急をつけるだけでも人生は随分違ったものになってくると思うのですが、何より自分の行動の本当の動機を知ることこそが必要でしょう。
「それ」をやろうとする本当の動機こそが、一番自分を縛っているものであり、運命を形成するものだからです。
全ての行動の元となる動機を知って(相対化できて)、初めてその動機から行動するのが自分にとってよいことなのか否かという評価基準と、その動機に従うべきか否かという選択肢が出現します。その選択肢が出現しない内は、その動機によって行動するという一本道を進んでいるのであり、現象面で右を選ぼうが左を選ぼうが同じことなのです。
更に言えば、その動機が何故発生するのかを考える必要があり、その動機を発生させる要因を知って初めて動機という拘束を超越できるのです。
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